MANIERA

映画は映画だ。

好きな映画

よく、映画好きの方とかは‘‘〇〇ベストテン’’というふうにランキング形式で好きな映画を紹介していらっしゃいますが、僕はどうも順位などを決めれない性質なのでどうしたものかと日々悩んでおります(気分で好きな映画が変わってゆくのです)。なので今回は現時点において(今の精神状態で)僕が好きな映画をすべてではないですが、順不同で列挙していきたいと思います。本当に思いついた順で列挙していきます。

 

アンタッチャブルブライアン・デ・パルマ

※「好きな映画は?」という質問にたいして、だいたいまず最初に挙げる映画です。‘‘心の一本’’と表現すればよいでしょうか。

『ミッドナイト・クロス』ブライアン・デ・パルマ

スカーフェイスブライアン・デ・パルマ

暗殺の森ベルナルド・ベルトルッチ

『ドリーマーズ』ベルナルド・ベルトルッチ

お熱いのがお好きビリー・ワイルダー

『素晴らしき哉、人生』フランク・キャプラ

『天国は待ってくれる』エルンスト・ルビッチ

アパートの鍵貸しますビリー・ワイルダー

『テス』ロマン・ポランスキー

バリー・リンドンスタンリー・キューブリック

『ベニスに死す』ルキノ・ヴィスコンティ

ブレードランナーリドリー・スコット

『エイリアン』リドリー・スコット

『エイリアン2』ジェームズ・キャメロン

『タクシー・ドライバー』マーティン・スコセッシ

『グッド・フェローズ』マーティン・スコセッシ

ロボコップポール・バーホーベン

殺人の追憶ポン・ジュノ

メトロポリスフリッツ・ラング

復讐は俺に任せろフリッツ・ラング

セリーヌとジュリーは舟でゆく』ジャック・リヴェット

『修道女』ジャック・リヴェット

『北の橋』ジャック・リヴェット

『彼女たちの舞台』ジャック・リヴェット

悪の華クロード・シャブロル

或る殺人オットー・プレミンジャー

『裏窓』アルフレッド・ヒッチコック

『見知らぬ乗客』アルフレッド・ヒッチコック

私は告白するアルフレッド・ヒッチコック

『東京暮色』小津安二郎

『うなぎ』今村昌平

『CURE』黒沢清

『カリスマ』黒沢清

『回路』黒沢清

『用心棒』黒澤明

『どん底』黒澤明

『天国と地獄』黒澤明 

黒澤明作品は全部好きです。

西鶴一代女溝口健二

『滝の白糸』溝口健二

『武蔵野夫人』溝口健二

『洲崎パラダイス赤信号』川島雄三

『奥様に知らすべからず』澁谷實

『酔っぱらい天国』澁谷實

『気違い部落』澁谷實

『現代人』澁谷實

『張込み』野村芳太郎

八つ墓村野村芳太郎

『疑惑』野村芳太郎

ツィゴイネルワイゼン鈴木清順

『野獣の青春』鈴木清順

『ならず者』石井輝男

『GONIN』石井隆

『有りがたうさん』清水宏

『按摩と女』清水宏

人間の條件小林正樹

さびしんぼう大林宣彦

野のなななのか大林宣彦

異人たちとの夏大林宣彦

『くちづけ』増村保造

『最高殊勲夫人』増村保造

陸軍中野学校増村保造

PERFECT BLUE今敏

千年女優今敏

『我が家は楽し』中村登

新幹線大爆破佐藤純弥

 

一応ざっと挙げてみましたが、だいぶ偏っているみたいですね。(同じ監督の作品ばかり...)これは本当にごくごく一部でしかありません。またいずれ、きちんとまとめて形にしたいと思います。

 

 

 

 

孤独な日本映画

こんばんは。

いきなりなんですが、最近、「日本映画」について考えています。邦画じゃないですよ、「日本映画」です。僕は邦画とは言わずに「日本映画」と呼ぶことにこだわりを持っています。なぜか?自分なりの‘‘映画的愛国心’’といいましょうか、ある種の日本映画に対する誇りや期待が少しでも存在する限り「日本映画」と呼んでいきたいと考えているのです。そう考えるようになったのもすべてがゴダールのせいであります(ゴダールはぼくの心をいつだって掻き乱す)。2002年のことです。第14回高松宮殿下記念世界文化賞受賞のためにゴダールが来日した際、記者会見で日本映画について聞かれ、彼はこう答えました。

「日本には、溝口健二黒澤明小津安二郎、成瀬己喜男といった優れた映画作家がいた。大島渚の『青春残酷物語』が真のヌーベルバーグだと思う。私やトリュフォーよりも前に、オオシマは既存の映画とは全く違う映画を撮っていた。また、北野武も素晴らしい。私は『HANA-BI』を気に入っているが、日本映画だからではなく、出演者が日本人だということを忘れるほど普遍的な映画だからだ。だが、“日本映画”というものは存在しない。ここでいう日本映画とは、日本人という民族の顔が見える映画のこと。映画とは、ある民族が自分自身の姿を見極めようとする手段だと思う。」

コメントの前半部はニヤニヤしてしまうと同時に「ま~たあの四人か」といったある種、優越感に浸ったような心持で読むことができましたが、後半部を読んでいくにあたって次第に顔がこわばっていくのがわかりました。「日本映画というものは存在しない?嘘だ。ゴダールさん、あんたは本当に日本映画を観たのか?それに、溝口、黒澤、小津、成瀬だけが日本映画じゃないぞ」と少々興奮気味になってしまいそうになるのを抑えて、なぜゴダールにこうも言われなければならないのか冷静に考えて(?)みます。

ゴダールにこうも言われなければならないその原因はゴダール自身にあると僕は考えます。ゴダールは「日本には溝口、黒澤、小津、成瀬といった数人の映画作家は存在したが、仏、伊などと違い、その国が何なのかを表現する“日本映画”は存在しなかった」と仰ってますが、本当に日本映画を観てきたのか?と問いただしたくなります。本当に小津を観れていればこんな発言はしないでしょう。それに、1920年代、1950年代の二度にわたる黄金期にはその4人以外にも数多くの巨匠たちが「日本という国」を表現してきました。山中貞雄清水宏、島津保次郎、澁谷實...。挙げればキリがありません。彼らが「日本映画」を撮っていなければ、何を撮っていたのでしょうか。

近年の日本映画においても、僕は「日本映画」は存在する、と言いたいです(胸は張れませんが)。例えば、「アイアムアヒーロー」。これはゾンビ映画ですが、確実にゴダールの定義するところの日本映画です。この他にもいくつか挙げられます。それは全体的に見れば、砂の粒のようなものかもしれません。しかし、たとえ粒のようであっても、その粒の存在は誰にも否定できないでしょう。

ゴダールは日本映画の存在を否定しましたが、僕は「日本映画」の存在を信じています。

 

最近、観た映画。

人間の條件 全六部』小林正樹

地球防衛軍本多猪四郎

『皇帝のいない八月』山本薩夫

チームアメリカ☆ワールドポリス』トレイ・パーカー

『ある殺し屋』森一生

『按摩と女』清水宏

『有りがたうさん』清水宏

 

清水宏の『按摩と女』『有りがたうさん』は何度観ても傑作だ。

 

10月観た映画、読んだ本とか

【映画】

「嘆きのピエタ」「メビウス」「悪い女‐青い門‐」キム・ギドク

「ゼロの未来」テリー・ギリアム

松ヶ根乱射事件山下敦弘

エンター・ザ・ボイドギャスパー・ノエ

「現代人」澁谷實

「処刑の部屋」「細雪市川崑

「人間の壁」山下薩夫

「愛妻物語」新藤兼人

「形見」「だんだんご」「絵の中の少女」「Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道」大林宣彦

【本】

「背骨のフルート」「人間」ウラジーミル・マヤコフスキー

「百頭女」マックス・エルンスト

「東京日記」「突然訪れた天使の日」リチャード・ブローティガン

「草の花」福永武彦

【漫画】

ホーリータウン」宮崎夏次系

るきさん高野文子

 

父と子

『父と子』の争い、もっと広い言葉で云えば旧時代と新時代の争い、旧思想と新思想との争い、それは十九世紀後半の露西亜や西欧諸国だけの悩みではなかった。それは、一種の伝染病として、いつの間にか、日本の上下の家庭にも、侵入しているのだった。
五六十になる老人の生活目標と、二十年代の青年の生活目標とは、雪と炭のように違っている。一方が北を指せば、一方は西を指している。老人が『山』と云っても、青年は『川』とは答えない。それだのに、老人は自分の握っている権力で、父としての権力や、支配者としての権力や、上長者としての権力で、青年を束縛しようとする。西へ行きたがっている者を、自分と同じ方向の、北へ連れて行こうとする。そこから、色々な家庭悲劇が生れる。(菊池寛真珠夫人』)


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こころ

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

(萩原朔太郎『こころ』)


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